「小池百合子」はカイロ大学を卒業しているのか? 「学歴詐称の真偽」に白黒つける【中田考】
◾️小池百合子はカイロ大学を卒業しているんだろうと思える理由
小池さんが在籍していた当時、カイロには私立大学がほとんどなく、国立大学だけでした。唯一の例外が「カイロアメリカン大学」というアメリカ資本の大学なんですけれども、それ以外は私立大学はひとつもなかったのです。
ナセルが大統領だった1960年代、腐りきったエジプトの機関の中で、大学の成績に関しては、唯一賄賂が効かないところとして知られていました。私が在籍した1990年前後にはかなり崩れていましたが、それでもその後の時期よりはマシでした。だから多分、小池さんが在籍していた1970年代にはもうちょっとマシだったと思います。カイロ大学の成績評価はそれなりに厳しかったんですよ。『女帝 小池百合子』にも「カイロ大学は入学は比較的、外国人には甘い。しかし、進級試験は厳しく、コネも効かないといわれる。」と書かれています。
ただし、それとはまったく別に「客人」という論理、要するに「お客様をもてなす」というような論理があります。小池さんに関しては、そちらのほうが強かったと思います。
中東には「客人をもてなす文化」があります。客人とは「その社会のなかに頼る人がいない」人のことです。お金や権力は全然関係ありません。
局地的なことで言えば、「隣町や隣の村から来た人」程度であっても、そこに頼りになる人がいなければ「お客さん」です。
ですから、エジプトだと、外国人は一般的に客人なわけですが、スーダン人やパレスチナ人など、言葉も同じアラビア語をしゃべり、国籍を超えて親戚がいたりするアラブ人はあまりお客さん扱いされません。しかし見かけも、言葉も、文化もまったく違う「非アラブ人」は明確に客人扱いされます。もちろん「いつまで客人でいられるか」という話もあります。私なんかはムスリムとしては同胞でもあったこともあり、最初は客人として扱ってもらえましたが、だんだんぞんざいに扱われるようになりました。
でも小池さんの場合、女性でもあるし、ムスリムでもないし、誰がどう見てもエジプト全土に百人ほどしかいない珍しい日本人だったわけですから、あらゆる意味で客人だったでしょう。父親の小池勇二郎さんのコネによるエジプトの元首相アブデル・カーデル・ハーテムからのカイロ大学への紹介もあったことだし、百合子さん自身も当然客人として振舞ったと思います。
ですから彼女も外国人の客人として特別扱いをしてもらって卒業したんだと思います。それは全然おかしなことではなくて、アラブでは普通のことです。アラブに行った人間であればそこの感覚はよくわかると思いますが、日本ではあまり理解されていないでしょう。
カイロ大学にはとにかくすごい人数の学部生がいます。私が在籍していた文学部哲学科では、学部生の人数は哲学科だけでも3000人と言われていましたから、文学部全体だと万単位でしょう。
ですから教員も事務も、学部の学生の名前なんて基本的には誰も知らないんです。
但し、小池さんの場合は非常に特殊なので、多分学校側はみんな知っていました。なぜかというと、カイロ大学はアラブ世界で最も権威ある名門大学でしたからアラブ諸国からの留学生はたくさんいましたが、「非アラブ人の学生」がほとんどいないんです。私の時にも、非アラブ人の正規の学生は私だけでした。哲学科には私しかいなかったし、全文学部合わせても何人かいた程度です。
ですから日本人である小池さんのことは、全員知っているんです。要するに外国人の学生がほとんどいないから、例えば語学コースも用意していません。そういうケアが一切なにも無いので、だからこそお客様として扱うという文化があったと思います。当然お客様として、特別な試験を受けさせてもらうとか、そもそも試験をうけないとか、「何もせずにその人間を帰すというわけにはいかない」という扱いをされていたと思います。留学生に対しては、そういうことはありますよね。